親から継がれる隣人愛

当時、北朝鮮の核疑惑や戦争発言に世界があわてふためいていました。このとき、ひとりの人物が新しい局面を開き、脚光を浴びました。

アメリカの元大統領であるジミー・カーター氏が、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席と会談する中で、緊迫した状況を一変させたのだ。自らを「一市民の静かな外交」と語ったカーター元大統領の働きにより、結果、韓国、北朝鮮の南北首脳会談実現の可能性まで引き出したのです。

全世界から孤立した北朝鮮が、政治的な駆け引きや制裁などにも決して屈しなかったにもかかわらず、なぜカーター氏の外交が成果をおさめたのでしょうか。当時のマスコミ各紙は、カーター氏の人格によるものだと語りました。

結局は、大きな政治力や脅迫とも思える制裁など、力による解決は失敗に終わり、平和な個人の力が勝利したのでした。

カーター氏は自伝『なぜベストを尽くさないのか』の中で、個人の力について、次のように語っています。

「最近は、貧しい人々や、苦しむ人々の問題を解決できるのは政府だけだと考えて、個人としての責任を回避してしまう傾向が強いようだ。しかし我々市民は、自分個人の力と義務を過小評価してはいけない」

そんなカーター氏に大きな影響を与えたのは、彼の母親でした。

母は看護師でした。幼少のころから近所の病院か病人の家で、付き添いの看護師として働いていたのです。また、村の人たちのために医者の代わりもしていました。彼女はどんな病気の人にも深い思いやりで接する人だったそうです。

また1966年の夜、彼女はテレビで平和部隊志願者で「年齢制限がない」募集を見つけると、すぐに応募しました。

平和部隊の一員となった彼女の任務はインド人に栄養指導をすることでした。そのために、インドの方言マラタ語とヒンドゥー語を学ばなくてはなりませんでした。当時の彼女の年齢は68歳。それから70歳を越えるまで、平和部隊の一員としてインドで働くようになります。

インドは彼女にとって第二の故郷となるほどとなりました。「善をなすのに遅いことはない」という精神を体現した人物でもあったのです。

このように彼女はつねに弱い者、苦しむ者の味方であり、そのために自分に与えられた看護婦という仕事を捧げたのです。

こうした母から影響を受けたカーター氏自身はよくこう語っていたといいます。

「人は二つの愛を持たねばならない。一つは神への愛、もう一つは隣人への愛である」

隣人への愛とは、キリスト教でいう他の人への愛のことです。いつも誰かを思いやる気持ちを持ち、実践に移してきたからこそ、親子共に大きな偉業を成し遂げたのだといえますね。