「飢え渇く」って?

その日には美しいおとめも、 若い男もかわきのために気を失う。

アモス書 8:13

聖書には、「飢え渇く」という言葉が何度も出てきます。飢え渇くとは、自分の欠乏に気づき、切実に謙遜に求めることです。それは、逆境から這い上がる強固な意志にもなります。
飢え渇く中で、逆境を乗り越えた人物をひとり紹介します。

国内外に30店舗以上を展開しているお好み焼き専門店『千房』を経営する中井政嗣社長は、こう語ります。

「親父は、おれが中学を卒業した直後に死にました。そのときから、女手ひとりで私ら兄弟を育ててくれたお袋がよく言うんだ。『お父さんが生きていたらよろこぶのに』って。でも親父が生きていたら、絶対にいまのおれはない。父親がいない、金がない、学歴がないという”欠け”がおれを奮起させたんですから」

中井氏の起業エネルギーは、「自分は欠けている」という劣等意識から来たのです。彼はかつて劣等感のかたまりでした。劣等感は、一歩間違えれば人生をダメにするものです。しかしその劣等感を糧にして、彼は強くたくましく人生を切り開いていったのです。

彼の夢は、自分の店、自分の会社を持つことでした。中学卒業後、彼は乾物店に丁稚に入りました。彼は少ない給料の中から、必死に貯めました。当時つけていた金銭出納帳には、道で拾った5円、1円までつけていたほどです。

そのお金で、やがて場所を借りて、お好み焼き屋をオープンします。しかし6年後、場所を明け渡さなければならなくなりました。

彼は大阪・千日前の繁華街に、自前の店を持つ計画を立てます。必要資金は3500万円。資金調達のために信用組合へ行きますが、担保がないと断られました。

そこで、一代で常磐薬品工業を興した中井会長を訪ねます。会長は彼を見て言いました。

「僕はキミのことをよく知っているよ」

「えっ、どうしてですか」

「中学の頃、キミは新聞と牛乳の配達をしていたな。自転車の音を立てて、家の前に止まるのが5時きっかり。その音を僕は目覚まし代わりにしとったんや。だから信用する。銀行が貸さんでも私が貸したるがな」

なんと即刻、融資が決定。ところが、帰る道すがら、彼はお袋の話を思い出すのです。

「他人の好意に甘えるな。とことん自分の力でやり遂げなくては、自分で成したことにはならない」

そこで彼は、翌日再び会長を訪ね、融資の話をなかったことにしてくれと頼み込みました。そののち、一度断られていた信用組合の理事長の元へ、再度足を運びます。

理事長は、

「借金は少ないほうがいい。不動産屋に行って、500万円値切ってみなさい」

と言いました。彼は言われるまま不動産屋に行き、事情を説明しました。不動産屋は、なんとか値下げに応じてくれました。その足で、彼はすぐさま理事長の所へ戻りました。

「よっしゃ、全額お貸ししましょう」

この一言で、お好み焼き屋『千房』はスタートしたのです。夢のない人間には、ここまでできないでしょう。夢があるからこそ、頑張れるのです。

数年後、信用組合の理事長と食事をすることがありました。その席で理事長は、

「なあ、中井君。創業当時のことを覚えているか。なんで私がキミに融資したと思う?」と言いました。

「会長が保証人になってくれたからじゃありませんか」

「それもある。だけど、ちゃんと担保もあったんや」

「担保? 出した覚えがありませんが……」

「キミが5年間の丁稚奉公時代につけていた金銭出納帳な。あれが担保や」

どうも理事長は、金銭出納帳の存在を、ふとしたことから知ったようなのです。それが信用となり、理事長の心を動かしたのです。それは人生の転機でした。その転機を生んだのは、彼のひたむきな夢だったのです。コンプレックスさえも、夢の原動力となり、飢え渇きを力にしたのです。

こんなふうに、「飢え渇く」とき、人は一生懸命に努力し、求めるようになります。

聖書ではイエス・キリストがこのようにも説いています。


そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。

あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。

あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

ルカによる福音書 6:20〜21

真理をはじめとして真の愛や平和、求めるものに飢え渇くとき、切実になり、チャンスにも気づきやすくなります。飢える心を持つ時、結局得ることができるのです。