愛の連鎖

人は、神さまの愛によって救われる。
それがどういうことか、ふつうに過ごしていてかんたんに実感できる人はそこまで多くはありません。
ひとりの神様の愛を受けた人物を通して、それがどういうことなのかを見てみます。

リトル・アーニーと呼ばれていた少女がいました。

親の育児放棄、最愛の弟の死、自身も目の病気で視力を失うという苦難が続き、ひどい精神障害でした。

彼女はだれにも心を開こうとせず、みなはさじを投げてしまい、とうとう地下にある独房に入れられてしまいました。

しかし、そんな彼女に救いの手を差し伸べた女性がいました。

その精神病院で働いていたクリスチャンの彼女は、アーニーをかわいそうに思い、毎日休み時間になるとおやつを持って地下に行き、そこでアーニーに聖書のお話をしました。

しかしアーニーは何の反応もせず、おやつに手をつけようともしません。人の話を聞いているのかどうかも全くわからない状態でした。それでも彼女はあきらめずに、毎日毎日、神さまの愛によってアーニーに接し続けました。

そのような状態が何ヵ月も続いたある日、いつものように彼女が地下に降りていくと、前日に置いておいたおやつの一つに手がつけられているではありませんか。彼女は驚くと同時に喜びがあふれ、急いで先生に報告したのです。

「先生!アーニーが食事に手をつけたんですよ! 愛を与え続ければ、彼女は直るんですよ!」

彼女は続けてアーニーの世話をしました。するとアーニーは彼女の読む聖書のお話に反応するようになったのです。

その後先生の治療のもとで、アーニーはみるみる変わっていき、神さまにつくられた本来のアーニーの姿に回復して、施設から出られることになりました。

しかしアーニーは施設にとどまり、自分が愛してもらったように、施設にいる人々を愛することを決意したのです。

このリトル・アーニーこそ、後にヘレン・ケラーを暗闇から救いだしたアン・サリバンでした。

ヘレンケラーの生涯を綴る戯曲は『奇跡の人』と訳されていますが、
日本では「奇跡の人」とはヘレンのことと誤解されがちです。
原題は「The Miracle Worker」であり、実際にはアン・サリバンの偉業を指した言葉です。

ヘレン・ケラーという人物に焦点をあてられることはあっても、その偉大な人物が誕生する背景に注目することは少なかったのではないでしょうか。

はじめは、神さまの愛を描いた一冊の聖書でした。

一人の看護師がそれをもって、目の前の患者ひとりを愛し続けることに挑戦しました。すると、誰にも心をひらくことのなかったアーニーの心に変化が生じました。アーニーは愛されるとはどういうことかを知るようになったのです。人は、自分が経験していないことをはじめからうまくやることは難しいものです。

アーニーは看護師の彼女を通して、神さまの愛を知り、自分が受けた神さまの愛をヘレンに注ぎ、ヘレンを回復へと導いたのでした。 

ヘレンひとりが愛され、困難を乗り越えていくまでにも、多くの愛の連鎖が起こりました。

そしてまた、ヘレン自身もサリバン先生から学んだ愛を持って、世界中の多くの人に勇気を与え続けました。

神さまの愛は自分も知らぬ間に、目の前の人、そして自分自身につながっていて、多くの愛の連鎖の上に、あたりまえの生活ができているのかもしれません。