聖書は自分の問題の答えになる

生きていると、さまざまな自分の問題が出てくることがありますが、
聖書を読むうちにその問題の答えをもらうことがあります。

あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。
[伝道の書 11:1]

聖書にこんな聖句があります。
これを神さまがくださった答えとし、自分の問題を解決した一人の人物を紹介します。

第二次世界大戦のころ、井上哲雄先生という牧師がいました。
彼は、満州のハルビン郊外にあるキリスト教開拓団の診療所で医師として働いていました。

日本が戦争に敗れた翌日、診療所は盗賊に荒らされ、日本人に危険が迫りました。

ふたたび祖国に帰れるだろうかという不安の中で祈っていた井上先生は、「盗賊に取り残されし窓の月」という良寛和尚の俳句を思い出しました。

「何もかも失って無一物になっても、自分の心のなかには残された窓の月がある。これだけはだれも奪うことができない。」

先生は、身も心も捧げて神さまのために働く決意を固めました。

あるとき、「これを使ってください」と言って、5万円を差し出す人がいました。
5万円は、その当時では大金でした。井上先生が、このお金をどう使ったらよいか祈っていると、神さまが「困っている人たちに分けてあげなさい」とおっしゃっているように感じました。

翌日からハルビンの町に出て、300円、500円、と配っていると、二人の子どもを連れたみすぼらしい身なりの婦人に会いました。
遠慮して受け取ろうとしないその人に、先生は残っていた千円を無理やり渡して帰りました。

ハルビンには親と死に別れた日本人の子どもが大勢いました。
350人の孤児を集めて「ハルビン愛生孤児院」を開設した井上先生の所に、ある日、あのとき千円を受け取った婦人が訪ねてきました。

「私の子どもたちは死んでしまったけれど」

と言いながら、友達の子どもを預けて帰りました。

その翌日のことです。
立派な身なりの婦人たちがやってきて言いました。
「終戦後、嫌なことばかり耳にしてきましたが、昨日、ある婦人から先生のことを聞いて、じっとしていられなくなりました。みんなでお金を出し合って、やっと五万円できたから持ってきました。子どもたちのために使って下さい。日本に帰る日までお金を集めて届けます。」

約束どおり、日本に引きあげるまで、毎月、4、5万円のお金が届けられました。

五万円を「困っている人に分けなさい」という神さまの声に従ったところ、最も必要なときに、お金が何倍にもなって返ってきたのです。
井上先生は、「あなたのパンを水の上に投げなさい。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだすだろう」という神さまの約束に間違いなかったことを心から感謝しました。

その後、引きあげ命令を受けて、それぞれの県人会に引き取られた残りの百五十人の子どもたちを連れて日本に帰った井上先生は、生涯、牧師として神さまのために働きました。

このように聖句が自分の問題の答えとなることがあるのです。